2010-02-09
週末をこえて
今のわたしのいるところと、その中でいかに自分が麻痺し、本来の素直さをしまいこんでいるか、が。
会社に守られている、そしてその囲いから自ら出ることを怖れてる。
この囲いの中では、今の延長線上でちからを発揮していれば、完全に守られ、名誉とお給料は安泰で充分な生活は約束されている。
自分のデザインが、たくさんの工員さんたちの手によって作られ、世界中で売られ、着られる。
それなのだ。
お給料ももちろんだけど、自分のものが幅広い人にきてもらえる、それが魅力的なのだ。
でも。
ある意味、それはただの自己満足でもある。
キャリアってなんだろう。
人生ってなんだろう。
順風満帆にこの先の人生を歩んでいくと安心してた矢先。
仕事をとるか。
こころをとるか。
の選択。
週末を 静かに過ごし、考えた。
現実的に考えて、わたしにひとりで暮らすことが可能なのか?
否。
なんとかやりくりできたとしても、仕事の達成感は味わえるとしても、ほんとの意味での幸せは感じられない。
なんのためのキャリアなのか。
人生ってなんだろう。
わたしにとって。
神戸で感じた、あの、小さな世界ながらも中身のある、あたたかでキラキラしてる世界の、直にこころに響いてくる感じ。
ほんとのわたしは ちゃんと道を知ってるはずなんだ。
2010-02-07
ミシン
午前中、お酒が残るからだとあたま。
しんとした部屋。
ゆうくんを見送り、あんまり天気がよさそうだから 強制的に活動することにする。
珍しくラジオをつけてみる。
人の声がするのが なんだか安心。
部屋の掃除、洗濯をして
ある程度 からだがしゃんとしてきたから
昨日のつづきの縫い物をした。
定番のシュシュ、3代目。
おっきくてまんまるのができた。
せっかくひさしぶりに出したミシンをしまうのが惜しいから、
この勢いで、と、前々から直そうとしてた洋服を3着直すことにした。
まずは、この間みつけた、一度も着てないトップス。
もともと袖口にモビロンテープが無造作に縫い付けられて パフスリーブにしてあったもの。
袖口がきつくて 赤ちゃんみたいなシルエットになるのが気に食わなくて、買ってすぐにとりあえずテープをとったっきり、そのままになってた。
細三つ折りにして縫ったら、たったそれだけで着れるものになった。
なんだ、早かったじゃん。めんどくさがりすぎてた。
2着目。
無印で2年前にかった前開きのワンピース。
なにかの拍子に裾に2カ所 おっきなしみがついてしまって、それ以来 ずっと眠ってたやつ。
捨てるに忍びなくて、いつかなんとかしようとおもってた。
今ちょうど ぽわんとしたコットンのブラウスが欲しかったから、思い切って裾を切って短くすることに。
着てみてだいたいの丈を決めて、寸法合わせてざくっと切って、三つ折り。
ウエストのリボンは残して、結んだ時にギャザーが寄るシルエットにした。
3着目は、シルクをヴィンテージ風にウォッシュかけたり染色したりして加工してあるワンピース、
着すぎてすっかりほつれたり 穴が開いたりしてるのを、スカート部分を切り離してトップスに変えた。
スカートにはぽっかり穴があいてるから、もう布地として 今度髪飾りにでも作り替えるつもり。
ミシンを踏んでると、なんだか なにか 胸の奥からつつかれるような気がした。
ほら、こうやって縫ってたじゃん。
出来上がりを思い浮かべながら、自分の手で作ってたじゃん。
縫い上がりを左右するのは、この 自分の手だったじゃん。
そうだった、と。
2010-02-03
きらめく 白い紙袋の旗
出掛けに お父さんがいつもにはなく 笑顔の奥が寂しそうだった。
早めについて、空港の売店でおみやげをお母さんと吟味して買うと、天満屋の大きな紙袋にいれられてしまった。あ、袋いいです、と言いそびれて。
袋からだして荷物をまとめると、お母さんが「紙袋持って帰るよ」と言ってくれるから、手渡しながら半分冗談で「じゃあ 母さん、これ目印の旗にして振ってね!」と 言って笑った。
ANA 17:00発。
飛行機にのる橋の窓から展望デッキをみると、すぐそこにお母さんの姿。
わぁ!っと手をひとしきり振って、じゃあ いってきます、と心の中で唱えて飛行機に入った。
席は翼の少し前、窓際。
伝えてたから 見えやすい場所にお母さんがいてくれるのが見える。
手を振ってくれてる。
と、お母さんの手には、さっき 私が手渡した 紙袋!
ちょうどいいサイズに折り畳まれて 母さんの手におさまっていた。
それが 夕陽をうけて 真っ白に反射してキラキラ輝いていた。
お母さんの側からは私の姿は見えないのに、まるで見えてるかのように手元で小さく一生懸命振ってくれてる。
すっかり小さくなったお母さん。
一人になったあとの帰り道や、うちについた時のがらんとした感じに受けるだろう気持ちをおもうと、この瞬間が毎回つらすぎる。
今回も何日も前からこの辛さをおもうと、胸がしくしく痛んだ。
でも、お母さんは、「母さんは大丈夫だから心配せんのよ」と気丈に送り出してくれた。
そして、展望デッキで一生懸命、冗談いって笑った紙袋の旗を振ってくれていた。
パタパタここまで振る音が聞こえてきそうで、いとおしくて仕方なかった。
向こうからは二重窓のせいでこちらは見えないのは分かっていながら、私もなんとか届きますようにと手を振り続けた。
エンジンがかかり、滑走路へと飛行機が動きだすと、それまで手元でパタパタ振ってくれてた手をぐんと伸ばして、大きな弧を描いて手を振ってくれてるのが見えた。
だんだんと 小さくなりながら右に流れていく景色の中で、お母さんの白い「旗」は はっきりと、くっきりと、わたしに向けて振られてるのがわかった。
小さなはずのお母さんが、展望デッキのお見送りの人の誰よりも大きく見えた。
すごく哀しい、すごく切ない、だけどすごく安心であたたかい、なんともいえない景色だった。
わたしに いつもいつでも変わらない無償の愛をくれるお母さん。
いろんな想いをぜんぶ笑顔に変えて、心配させないように爽やかに送り出してくれるお父さん。
ありがとう、ほんまにありがとう、と、空気を越えて伝わるようにと心の底から祈った。
ビデオ
2歳のおひなまつりや、3歳の大雪、6歳のお誕生会やお正月。
ぜんぶお父さんが、私やみぃが遊ぶ姿を、静かに時々やさしく話し掛けながら撮ってくれてた。
若いお母さんがときどき現れ、わたしがどんなにしつこくおんなじ遊びをしても、にこにこ笑いながらいっしょに遊んでくれてた。
私が覚えてる景色の中のお母さんは完璧「お母さん」なのに、ビデオに映るお母さんは、今の私より若かった。
ビデオでみるとずいぶん昔のことに思うのに、その時の鮮明な記憶が私の中にきちんとあるっていうのが奇妙な感じだった。
こんな子供に話してもわからないだろう、と思えるようなことでも、自分の中には記憶があって、あなどっちゃいけないなとまた思ったり。
今の私より若いお母さんと30歳にもならないお父さんのすごさを想った。
こうやってたっぷりもらった愛情でわたしの今のつぶつぶはできている。


