くうきのいろ

2010-09-19

はたと。羽田からの電車の中で。

どのみち無名なのだ。

はじまりに必要かつ不可欠なのは
見た瞬間 きれい、かわいい、の感情が湧き、
それから 欲しい、へつなげる「ものの力」だけだ。
ブランド力はその感動の積み重ねでついてくる。

もしくは、
見た瞬間、
からだがあわだつくらいの感動を覚え、
その一瞬をそのあともずっと覚えていてもらえるような衣装。
衣装が主役として、ではなく、あくまでも強力な縁の下の力持ちとして。
経験の積み重ねだ。


どのみち どちらにせよ、まず 私の思う「よいもの」を作り出さなくては。

2010-09-17

整理 手作りこんにゃく

今日は朝から整理の日にしようと決めていて、朝起きていつものストレッチと小さな朝ごはんを済ますと、会社からまとめて送ってた資料の整理をした。
入社当時描いたデザイン画からリサーチ資料、雑誌の切り抜き、かきなぐってた絵まで。
ひとつひとつ、見れば隅々まで思い出があるなあ、とおもう。
他の人にしてみればただの落書き程度の絵でも、その時々の理由があって全部とっておいた絵や資料だから、全部が懐かしくおもえた。
全部きれいに分類し、捨てるものは捨て、記録としてとっておくものはとっておくようにファイリングした。帰ってからずっと部屋に鎮座してた段ボール箱をやっと片づけれて、
気持ちまで やっとすっきり全部整理ついた。
きちんと仕事してきたな、とおもえた。
改めて見ると、入りたてのころのデザイン画は、ただ絵を描くのが楽しいだけの「絵」だった。
当時、先輩に「カットソーの描き方、練習しよっか」と言われたとき、その言葉の意味が全くわからなくて、ただただなんとなく悔しい気持ちだけがしてたけれど、今見たらわかった。
ほんとだ…と。
ただ、そのころの絵には今ない部分もたくさんあった。
「着ている」その空気感だけは満ちていて、素直な自分の手が表れてた。
どっちがいいとかではなく、使い分けが大事なのかも。
と ちょっとオトナなことをおもったりした。


お昼過ぎから妹の髪飾りの続きに着手。
ひとつひとつ はさみで形作っていく。
なんとなく(したことないけど)和菓子職人の気分。
下ごしらえ完了。


夕方 とても涼しそうな様子だったから、目の前の公園を散歩。
ほとんど人がいなかったけど、遊具のあいだをおばあちゃんと孫3人くらいで虫捕りあみを持ってトンボを追いかけていた。
肺いっぱいに空気を吸い込む。
やっぱりいい匂い。
夕方の匂い。
しばらく歩いて、バレエのセンターレッスンの一部分をこっそりやって家に帰った。


今日は午前中 お母さんがこんにゃくを作っていて、晩御飯が楽しみでたまらなかった。
うちの母はこんにゃく芋からこんにゃくを作る。
今日はじめて その手順を一から見ていたけれど、あの過程はとてもまねできるものじゃなかった。
なんと手間のかかることか。
「今日は灰汁を入れすぎたから 失敗よ、失敗よ」と心配性の母が何度も言ってたけど、
いつも通り、本当においしいこんにゃくができていた。


今日の晩御飯はたくさん。
手作りこんにゃくのお刺身(梅味噌と肉味噌、生姜3種類で)、こんにゃくの煮つけ、ちぃちぃイカの煮つけ、クジラ肉の煮物、生厚揚げ焼き、あさりの酒蒸し、焼き茄子、牛蒡のきんぴら。
最初 多いなあ、としり込みしてたけど、気付くと お父さんとぺろりとすっかりたいらげた。

2010-09-16

一年前のいまごろは

ちょうど パリへ出張にいっていたころだ。

ひさしぶりに自分の日記を読み返してたら 日付がそうなってた。

たった一年前。
そのことに愕然とする。

たった一年。

なんて大きな一年なんだろう。

世界が違う。

とりまくすべての環境が違う。

ということは、一年先も違うんだろう。
というより、一年先、「なんて違うんだろう」と
光あふれる気持ちで思えるように 今があるんだろう。

運動会の朝の空と 秋刀魚

朝起きたときから 抜けるような秋の青空だった。
高いところに雲が浮かんでいて、窓を開けると少し涼しい澄んだ風が入ってきた。
小学生のころ わくわくした 運動会の朝の空と一緒だった。
ベッドから降りて床に座って窓を見上げると、そこだけくっきり切り取られた絵みたいで
なんだかうれしくて しばらくそのまま眺めてた。

午前中は お母さんがおばあちゃんちへ大根の種を植えるのを手伝いに帰ってたから、私は頼まれてた妹の英語の問題作りをすることに。
高校生のころ使ってた問題集を何年かぶりにひっぱり出してきた。
少し問題に目を通すと ぎゅんっと時間が一気にさかのぼって、
そこに引いたマーカーの線や 貼ってある付箋の意味まで思い出せた。
そうだ そうだ、あたし ここのこの単語、どうやっても覚えれなかった、とか。
これ、この日本語訳にするの ほんと嫌い、とか。
もう10年くらい前になるのに、その問題をしてた時の天気や周りの風景まで、まるでついさっきくらいの鮮明さで思い出せて ちょっとびっくりした。

今日の晩御飯は秋刀魚の塩焼き。
買いたいな、と何度かスーパーでも思ってたけど、どうも今年は高くて手が出てなかったけど、さすが瀬戸内。(って秋刀魚が瀬戸内で獲れるわけじゃないけど)
ぷりっとまるまる太ったからだで 艶もすごくよくて、
おかあさんと夕飯の買い物に行ったスーパーで見た瞬間、
それまで何が食べたいかよくわからなくて困ってたのに
一瞬で「今日は秋刀魚!」と決まった。

今日の晩御飯は秋刀魚の塩焼き、しじみのお味噌汁、貝割菜の胡麻味噌和え、鶏レバーの煮つけ、イカの煮つけ、豚肉とピーマンの辛み炒め。
からいからい大根おろしをお皿いっぱいに作って、秋刀魚と一緒に食べた。
今年の初物。
おいしかった。

2010-09-15

おかあさんの蒸し器

蒸し物を普段から普通にするおかあさん。

私は一度もちゃんと蒸してる現場をみたことがなかった。

毎回 私が野菜やお肉を蒸すとき、蒸し器がないから、深い鍋に薄く水を張り、底にお椀をひっくり返して置き、その上にお皿を置いてそこに食材を乗せ、蓋をして蒸していて、そのキャンプ的な簡易蒸し器にうぅーん…と何とも言えない切ないような気持ちになっていた。

が、今回 びっくり。
おかあさんもこの方法で、すべての蒸し物を制覇していたのでした!

つまり 間違ってない、ということ。

きちんとおかあさんの味に近付けていけそうだ、ということ。

家事はアイデアと経験の積み重ねだなぁ、と今日は蒸し器から学びました。

実家でのときの流れ

今日も健やかに7時前には起きて 全体のストレッチ。

朝ごはんにはコーヒーとパウンドケーキ。

毎回思うことだけど、実家での朝は、1日のうちで一番濃い。
一時間の中に数えきれないほどの出来事がある。1分が通常の5倍くらいありそうな感覚。
きっと 入り込む朝の陽射しの量や角度が刻々と変化していくからだろう。
わたしも動くけど、外の表情も変わるから、倍以上の濃度の感覚。
それがとても好き。

今朝も、窓際で刺繍をするおかあさんを眺めながら朝ごはんを食べ、仕上がりを相談しあったり。
新聞を読んでニュースを見て、お化粧をして、メールチェックと画材やの地図を調べ。
まだ刺繍を続けるおかあさんの側で 手縫いでリングピローを作り上げ。

お昼を食べて 今日はすぐに電車で岡山の画材やさんへ額を買いに行きました。
何年かぶりの路面電車で城下の画材やさんへ。
店に入ると あっという間に 理想的な額と出会い、ものの15分ほどで目的終了。

本屋さんに寄って
それぞれぐるりと見て回り、私はずっと欲しかった飯島奈美さんの料理の本を買ってもらってしまいました。

キムラヤでバナナロールを明日の昼ごはん用に買い、また電車で帰宅。

おやつを食べ、
額を完成させ、
今日もひとりレッスンを廊下でしました。

なんだかんだ 今日は全体的に内容の濃い1日だったな。

2010-09-14

夕方のさんぽ

岡山の実家に帰ってきています。

帰ってくる前は いろいろと
「帰ったら 何にも準備が進まないんじゃないか」と心配で
帰りたいのに帰りたくない、なんだかもやんとした気持ちだったけど
帰ってきてみたら やっぱりここ特有の包容力に包まれて
すぅっと自然にすべてが馴染んでる。

自分がおかれた状況さえ 忘れてしまいそうな感じ。


今日は一日涼しかったから、
夕方 刺繍糸で足りないものを買いに買い物に出るとき
歩いていってみることにした。
普段 東京にいるときなら全然気にならない距離も
なぜか実家に帰って車生活が当たり前の環境になると 一気に歩くのが億劫に感じるけど
今日は涼しさに背中を押されて、でも念のため日傘を持って出てみた。

きゅんとする匂い。
子供のころ、日曜日におばあちゃんちにかえって
夕方 お父さんと妹とよく外で遊んでた頃とおなじ匂いがした。
空気がたっぷり 樹や草や土の匂いを含んで
その中にそれぞれの家の晩ごはんのできる匂いもまじってる、「生きてる」匂い。

一歩一歩 背筋を伸ばして歩いてみた。

今、私が置かれてる状況を 自分でやっと感じられた。

今の時間は きっと 人生の中で とても貴重。

この先をどう生きていくか、
それをじっくり見定めて 決めていくことが許されている時間。

せかせかとあわただしく 先のことばかり心配していては
とてもとてももったいない、そう思えた。

揺るぎないのは
洋服を作りたい、その想いだけ。

とにかく 作りたい。
それをどこで、どうやってか、それを体を動かして見つけていこう。


でも その前に、
私が生まれ育ったこの土地を、
この姓でしっかり味わっておきたい。
そのための貴重な一週間だ、
そうも思った。