くうきのいろ: 2010-03-18

2010-03-18

生きた瞳

今日 会社の半年に一度の決起集会的な会で、スペシャルゲストとして車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さんが講演された。
会社と所属契約を結んで、ユニフォームやいろいろを提供している、という縁で。

なんとなく 名前を聞いたことはあるような、でもきちんとは知らなかった方だったけど
数週間前にフィッティングで来社されると聞いた時に、こっそり仕事中にウィキペディアで調べてみた。
ほおー そんな人がいたのか、と思いながら すごく興味があった。
昨日、一日の終わりに、大きなホールに設置されたテニスコートで実際にテニスをする姿を見て、今までの「障がい者スポーツ」への無知がべろんとむかれ、大きな大きな衝撃があった。
だから 今日は朝から楽しみだった。

彼の瞳がすごかった。
一見してひとなつこい笑顔。
なのに、テニス人生を語るその声、言葉、瞳には、たとえようのない凄みがあった。

9歳で脊髄腫瘍を患い、下半身麻痺になってからの人生。
もともとの負けず嫌いさがテニスを上達へとむくむくめきめき導いたそう。
たんたんと、それ以外ないのでは、と思うほど正確で、すべての意味を含んだ 静かで落ち着いた「彼の言葉」で、今までのテニス人生と、彼の生き方を語る。

いったいいくつなんだろう。とふと聞きながらおもった。
見るかぎり25、6歳に見えるけど、こんなに 研ぎすまされ削ぎ落とされ そのくせ押し付けがましさを微塵も感じさせない言葉を、その歳の人から聞けるだろうか。

でも、講演中にふと出た「17年間テニスをしてきて」という言葉に 驚いて 愕然とした。
26歳。

プライベートを口にする彼は、とたんに普通のおとこのこ、という感じに ほわっとした空気をまとったけど、
テニスの話、そこへ懸けてきた想いを語りはじめるとがらりと雰囲気が変わるのは ただただ驚くしかなかった。

あんなに 直で人のこころに言葉を届けれる人は、そうそういない。

いらないものを削ぎ落とし、装飾のない、真の美しさだけを宿し、どっしりとたつ水晶のようだと思った。
ときおり陽の光を浴びてきらりと輝く。
その眩しさに 全身が震えそうなほど感動させられる。

強い人、というのは彼のような人のことをいうんだとおもった。

自信というのは 人を強くする。
ただおごるのではなく、「◯◯したい」ではなく「◯◯する」と自分で自分にある意味負荷をかけ、そうするために磨いていく。
がつがつの体育会系のやりかたではなく、自分自身との対話。
静けさと朗らかさのどちらも纏う彼から聞くからこそ 説得力のある言葉だった。


わたしは まず おどおどをやめないとな。
焦る必要はない。
あんまり自分のこと卑下して 嫌いになるばっかりじゃ、なんにも好転していかないんだな。
きっと。