くうきのいろ: 2009-09-21

2009-09-21

家族4人勢揃い

出張明けの次の日。
出張報告のために出勤。
だから 次の日のために 初めての飛行機での帰省。

どたばた乗って 少しとろとろ居眠りして ふと目が覚めて
目に飛び込んできたのは 窓の外の 一面の赤のグラデーション。
わぁっと見てると 10分足らずでもう降下。

岡山空港に到着するとものの5分でお迎えのお父さんに会えて
飛行機のすばらしさを初めて実感した。
東京を出て たった1時間で もう ただいまだなんて。

お父さんの顔を見た瞬間、それまでの鉛のような疲れや
いろんな不安ごともふっとんで、ただただ これからみんなが揃う嬉しさでからだがふわふわ浮きそうになった。

うちについて 玄関に入ると
冗談みたいに そこにちょこんと座って おじぎをしながら
「おかえりなさいませ〜」と迎えてくれたお母さん。

出張からと東京からのダブルの意味のこもった、普段にはないお出迎えにどきまぎしながらも
お母さんの嬉しさが手にとるようにわかって ぎゅうっときて
「ただいまなさいませ」と へんな返事をしてた。

廊下を歩いて リビングに向かっていると
少し開いたリビングのドアの下のほうに黒い影。

あぁ!っと思って走りよると お風呂上がりのつるんとした顔のみぃ。
いつもそうだけど、ふたりがあうと嬉しすぎて 一気に全身の血が沸く。
ひとしきり みぃときゃあきゃあ言いあいながら ぎゅうぎゅうした。
横で笑いながらみてるお父さんとお母さん。
最近はなかなか一緒に実家に帰ることがなかったから、
ここ1年くらいなかった ひさしぶりの儀式。

家族4人が揃うことのすごさ。

おでんを囲んでのばんごはんや
そのあとの私のおみやげを開けてるときや
新品種のブドウの 桃太郎ジャイアンツを食べてるときの 空気がきらきら輝いてること。
たった一房のブドウであんなにたのしいなんて。
つやつやのブドウがびっしり連なった房をたてて 一粒一粒ああだこうだいいながら おいしいねおいしいねと食べる嬉しさ。
贈呈用なら1万円するんだよ、でもみぃは前それを一人で食べたんだよ、
えー!1万円 ひとりで食べたんー? もったいなーい!のやりとりに
にっこにこの笑顔で
「いっこのブドウだけでこんなにたのしいんだから 安いもんだわ」の父さんの言葉が わたしたち家族のすべてがこもってるような気がした。


帰った瞬間の玄関から香ってた 新しい畳の匂い。
まっさらな 張り替えられたばかりの障子。
さっぱり洗われて 白くなってる部屋全体のカーテン。
取り替えられて綺麗になってるブラインド。
きちんと整理整頓された本棚の中。
増えてるおっきなテーブルと絨毯。

それに、冷蔵庫に貼られた、大きな行事の前には恒例の、お母さん手書きのお品書き。
洗ってお盆に伏せられている 数えきれないお皿の数々。

この1ヶ月、どれだけお父さんとお母さんが
9/22という日のために 時間と想いをかけて準備してきてくれたかを ひしひしと感じた。


じゃあ、明日の朝は早いから、と11時半頃 それぞれおやすみを言って部屋へあがった。

部屋の扉を開けると、さっきまでリビングでごろんと居眠りしてたみぃが うれしそうに待ち受けていた。
それからまた1時間あまり、ふたりで漫画をよんだり 懐かしいシールを眺めたりしてあそんで、
名残惜しみながら おやすみをして 眠った。

むずかしい

ロンドンパリ出張から感じてたこと。

感じて、
しかも開き直れず、
いつもどうしようもなく悲しい気持ちになること。

人間力っていうことばをよく聞くけど、わたしにはそれがない。
あるとしても薄すぎる。
もしくは今の場所があわなさすぎるのかな。

昔からそう。
高校では特に。
苦い思い出ばかり。
初めてカナダに留学した時、どうやっても埋もれてしまって死ぬほど苦しかった。

今、そのときに近い。

英会話を始めた時、
はやくうまくなりたい一心で恥もなにもかも捨てて、からだまるごと私、っていう気持ちで体当たりした。
人は物怖じする人の言葉はあんまり信じない。
だけど わからないならわからないなりに体当たりで頑張るガッツは買われるし、可愛がられる。

私は ものをしらなさすぎて まったくことばをもっていない。

洋服をみて感動はする。
なのにそれを表現することばをもたない。

そうすると自然にくちをつぐんでしまう。
そうすると存在感がもともと薄いのに もっと薄くなって自分で息をするのが苦しくなる。


努力できる余地は腐るほどある。

いいものをたっぷりおなかいっぱいみて
目を養おう。

多少 ミーハーにならないと。