くうきのいろ: 201101

2011-01-11

Macがうちにやってきた


使っているMacに今まで不便を感じたことはなかったのに、
引っ越して 無線LANになったり、携帯電話をiPhoneに変えてからというもの、
ことごとくバージョンが古すぎて いろんなことができないことが判明。


年が明け、夫も携帯をiPhoneに変え、めでたい、ということで
お年玉気分で 念願のOS 10.6のMacがついにうちにやってきた。


すばらしいー
画面のきれいさも、薄いキーボードも、マウスも、ほんと 美しいとおもう。
パッケージも、こんな薄っぺらい中に入ってるの?と思うくらい 薄い箱に入ったキーボードとマウスと、
あとはディスプレイのみ、という最小限に抑えられて、
開けた後の あのいやなごちゃごちゃしたゴミが出ない。
電源を入れたら もうネットにつながる、という、10年前には考えられなかった簡単さ。


ほんとに コードが嫌いで嫌いで仕方なくて、
世の中 全部ワイヤレスになればいいのに、なんて思ってしまう私は
朝起きて、机の上に置いてある すっきりとして 存在感がないのに、たたずまいがきれいな姿を見ると
ほぅっとそれだけでうれしくなる。


と もう大勢の人が知ってるであろうことを こんなに書いてしまって 恥ずかしいですが、うれしいのです。









2011-01-08

新年会

土曜日。


ESMODのみんなで 我が家で新年会。
すっかり写真を撮るのを忘れてしまっていたけど、
初めての大人数をお迎え。
総勢8人!
ありったけのいすを集めてみたけど 一個足りなかったり、
お皿もフォークやスプーンもいろんな大きさで、ってなってしまったけど。


今回はお料理は大勢が食べやすいものを。


恒例になってきたピザ(今回のトッピングはトマトソース、ベーコン、パプリカ、ピーマン、ゆで卵)、
出汁巻き卵、マッシュポテト、バジルと塩で漬けた豚肉のソテー、生ハムとアボカドのグリーンサラダ、ローストビーフの野菜巻き。
あと、足りないかも、とミルクハースパン。


かなりホームベーカリーとなかよくなってきて、今回のピザは今までで一番ふくらみがよかったし、
パンもふんわりおいしく焼けた。


これに、みーくん夫妻が持ってきてくれたケンタッキー(生まれて初めてのバーレル!感動しました)や
けいちゃんたちが持ってきてくれたお寿司もプラス。


やっぱり8人となると、多いかな?と思った料理もぺろりとなくなって、
作った甲斐あったなあーと きれいになくなったお皿を洗いながらうれしくなりました。


けいちゃんとマツフジが持ってきてくれたケーキ、
イチゴやチョコレートがこんもりと盛られて 見るだけでうれしくなるようなケーキ。
おいしかったし うれしかった!


やっぱり お客様を迎えると、そのたびに家に灯がともる気がする。
熱を帯びる、というか。


うれしいこと。

2011-01-05

お母さんの味

私の味、っていうのが 早くできればいいのになあ、とおもう。

そのくせ、「おいしいものが食べたいなあ。わたしの味はもう飽きた」ともおもってた。

だから、今回の帰省は本当に待ち遠しかった.
お母さんの料理が食べたくて。

以前、「さなえたちにとって 母さんの味ってなんなんだろうねえ」とお母さんにちょっと悲しそうに言われたとき、
すぐには答えられなかった。
肉じゃが?とおもったけど、なんだかそれも違う気がして。

でも、今回、ものすごくはっきりとわかった。

全部、ぜんぶがお母さんの味なんだ、と。
ちょっとしたものまで。全部。
と同時に、私にとってのナンバー1の「お母さんの味」が何かもわかった。

30日のお昼ごはんに おにぎりと焼き鮭と卵焼きを作ってくれたとき。

卵焼きを口に入れた瞬間、体中のちからが抜けていくみたいな感覚に陥って、
思わず ため息がことばになって出た.
「あーーー、かあさんの卵焼きの味がするー。おいしいー」と。

そのときは、なんであんなに卵焼きでそう思ったのか あんまりよくわからなかった。

でも、4日、東京に戻る日に持たせてくれたお弁当を、新幹線の中で食べた時。
決定的になった。

開けて目の前にあらわれたお弁当は、往年の迫力(中高時代は本当にすごい品数で、学年中に有名だった)は衰えたとはいえ、ぎっしり詰まったお弁当は それだけで懐かしかった。

蓋にひっついちゃって半分はがれた海苔のごはん。
3層になっていて、真ん中にお手製のおかかのふりかけが敷きつめられていて、
食べると白ごはんの甘さと、おかかと、海苔がふわーっとくるんでくれるように美味しかった.
もうそこで涙目になっていたんだけれど。

卵焼きを食べた。
もうだめだった。
それはお母さん独特の出汁のきいた卵焼きで、口にいれた瞬間に 大粒の涙がこぼれてとまらなくなった。
わたしのからだはこれで育ててもらった、と、頭よりからだと感覚の方が正直で、
言い表しようのない、嬉しさありがたさ哀しさ寂しさ懐かしさ、全部の入り混じった気持ちがこみ上げてきて止まらなかった.

拝むような気持ちで 全部食べきって、胸がつまってしかたなかった。

お母さんのわたしへの想い、濃く、濃く、詰まってた。
ありがとう。

2011年のお正月

明けましておめでとうございます。


2010年、めまぐるしく、取り巻く環境が一気に変化した一年でした。
去年のお正月が遠い遠い昔のよう。
とまどったり、うれしかったり、誓ったり、決意したり。
名字も住む場所も働く場所も変わった 変化の年でした。


2011年を迎えるお正月もまたいつもとは違う、新しいかたちのお正月でした。


去年のお正月、「もう今年がここで過ごせる最後の年なんだ」と 実家での3日間、
できるだけすべてのことをからだに染み込ませておこうと 全部の神経をこまやかにして吸い込もうとしてた。
けど、夫となった彼の優しい気遣いのおかげで、
去年よりも長く、そして 去年よりも賑やかな 楽しいお正月となりました。


27日に私が一足先に岡山へ帰省。
お母さんとカートを押しながら 暮れのお買い物へ。
お正月のメニューの相談をしながら、たくさんの食材を吟味しながらカートに入れていく。
もう それだけで、しあわせだった。
スーパーでカートを押して あれやこれや、これはどう?あれ食べる?その会話だけで
帰ってきた喜びで胸がいっぱいになった。


29日に夫 合流。
その日の午前中にも 前日からお母さんと計画してたお買い物リストを持って、その日の晩ごはんの手巻き寿司の材料を買い出しに。
スーパー開店と同時にいくなんて、それはもうお祭り気分。


30日にはお父さんが午後から瀬戸大橋を見に連れて行ってくれた.



ひさしぶりの与島で おみやげを買ったり、展望台にのぼったり、ソフトクリームを食べたり。
近いのに観光気分。
鷲羽山ハイランドそばのホテルで、眩しく輝く瀬戸内海をみながら、ほてるようなあったかさの喫茶店でお茶を飲んだ。


31日は毎年恒例のお餅つき。
今年は私の役目である、お餅監督係を夫にゆずり、みんなで丸めた.
毎年おもうけど、お餅が丸められて 静かに並んでいる姿は ほんとうに愛らしく神々しい。



おばあちゃんの手打ちそばも いつも通り、とてもおいしかった。
おばあちゃんは「こんなのほかでは食べられんでー」と誇らしそうに 何度も言ってた。


1日には数年ぶりに最上稲荷に初詣。


なんだか お金の匂いがますます増してるような気がした.
おみくじ、5人全員凶もしくは大凶だったし。
夜は、壊れかけのおなかながらも、おなかいっぱいすき焼きを食べた。


2日には大阪へ新年のご挨拶。
途中 神戸の北野天満神社に寄り、お詣り。
結婚式から3ヶ月。
式を挙げた場所は それだけで 近い場所に思えた.
夜ごはんは3家族一緒にお食事。
わたしは恵まれてるなあと改めて噛み締めた。


3日。
実家で過ごす最後ののんびりの日。
朝から お父さんとお母さんとひたすら箱根駅伝の応援。
歳を重ねる毎に 面白さが増す.
子どものころは あそこまで面白いとも思わず、「いつもついてる番組」程度の認識だったのに、
いつのまにやら身を乗り出して、感情移入しまくって観てて、必ず泣いてしまう。


終わって、お父さんと近くの電気屋さんへ。
うろうろしばらくして お父さんがほいっとプリンターを買ってくれてしまった。驚いた。


晩ごはんは6時くらいからのんびりゆっくり食べた.
このお正月、何度目になるだろうかの乾杯。


夜、お母さんはすっかり疲れて寝てしまい、私ひとりテレビの前で暇を持て余してると
外から帰ってきたお父さんが ぽいっと私にみかんをひとつ。
くれるのかと思いきや、「あー、さなえは優しいなあ、お父さんに剥いてくれるんかあ」と冗談。
これぞ お父さんの優しさだなあと思った瞬間だった。
剥いてあげたみかんを美味しそうに食べ、おもむろに「どれ、早苗の相手をしてやるかあ」とオセロを取り出し。
「暇なのか」と聞くわけでもなく、かしこまった話をするわけでもなく、ただただ ゆるゆる一緒に時間を過ごしてくれた。
お父さんだなあ、とじんわりとした。