くうきのいろ: お母さんの味

2011-01-05

お母さんの味

私の味、っていうのが 早くできればいいのになあ、とおもう。

そのくせ、「おいしいものが食べたいなあ。わたしの味はもう飽きた」ともおもってた。

だから、今回の帰省は本当に待ち遠しかった.
お母さんの料理が食べたくて。

以前、「さなえたちにとって 母さんの味ってなんなんだろうねえ」とお母さんにちょっと悲しそうに言われたとき、
すぐには答えられなかった。
肉じゃが?とおもったけど、なんだかそれも違う気がして。

でも、今回、ものすごくはっきりとわかった。

全部、ぜんぶがお母さんの味なんだ、と。
ちょっとしたものまで。全部。
と同時に、私にとってのナンバー1の「お母さんの味」が何かもわかった。

30日のお昼ごはんに おにぎりと焼き鮭と卵焼きを作ってくれたとき。

卵焼きを口に入れた瞬間、体中のちからが抜けていくみたいな感覚に陥って、
思わず ため息がことばになって出た.
「あーーー、かあさんの卵焼きの味がするー。おいしいー」と。

そのときは、なんであんなに卵焼きでそう思ったのか あんまりよくわからなかった。

でも、4日、東京に戻る日に持たせてくれたお弁当を、新幹線の中で食べた時。
決定的になった。

開けて目の前にあらわれたお弁当は、往年の迫力(中高時代は本当にすごい品数で、学年中に有名だった)は衰えたとはいえ、ぎっしり詰まったお弁当は それだけで懐かしかった。

蓋にひっついちゃって半分はがれた海苔のごはん。
3層になっていて、真ん中にお手製のおかかのふりかけが敷きつめられていて、
食べると白ごはんの甘さと、おかかと、海苔がふわーっとくるんでくれるように美味しかった.
もうそこで涙目になっていたんだけれど。

卵焼きを食べた。
もうだめだった。
それはお母さん独特の出汁のきいた卵焼きで、口にいれた瞬間に 大粒の涙がこぼれてとまらなくなった。
わたしのからだはこれで育ててもらった、と、頭よりからだと感覚の方が正直で、
言い表しようのない、嬉しさありがたさ哀しさ寂しさ懐かしさ、全部の入り混じった気持ちがこみ上げてきて止まらなかった.

拝むような気持ちで 全部食べきって、胸がつまってしかたなかった。

お母さんのわたしへの想い、濃く、濃く、詰まってた。
ありがとう。

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