くうきのいろ: 201009

2010-09-30

つやつや

生まれて初めてのネイル。
地元の友達に紹介してもらったお店へ。


まずネイルをしてくれたのは、今年からだという23歳の女の子。
2年間 東京で服屋の販売員として働きながら、ネイルの学校に通い、去年短期間のつもりで岡山に帰ったときにお兄さんの結婚式があり、たまたまそのお店を紹介されて働きだし、実家に戻ってきた、という。
自分の意志とタイミングで選んで見つけた職業を、馴れ親しんだ土地でできるということも、そこがやっぱりいい、と選んで決めた心もどちらも 印象的だった。


お店のオーナー兼店長さんは今年35歳の女性。
もともと長らく東京で美容師として働いてたけど、転勤で岡山に戻ることになり、独立するならネイルとエステだ、と学校に通いながら、店を開き、少しずつ規模を大きく、知識も増やしながらいまに至るらしかった。

全部ね、タイミングと縁ですよー!
と 笑顔でさらっと楽しそうにおっしゃった。
案外自分で 決心して方向転換を選ぶと、うまくいかなかったりしますからね、と。
女性は、先10年を読んで見据える力よりも、目の前のことに一生懸命になる力のほうが強いと思う、だから、今まで7年間はいろいろ試しながら、いろんな方に助けられて気付くとすぎてました。
何よりね、「長く続ける」それが大事なことですよ。

なんていうのか、
私の胸のうちを知ってるかのようなお話だった。

一軒家のとても心地いい空間と、いかにも楽しくてたまらない、という空気のオーナーさんに、たっぷりたくさんのプラスをいただいたような気がする。

これも縁だ、と思った。

2010-09-29

涼しい夕方

今日のさんぽで見つけた花。


今日は午前中いい調子で、お母さんと、大学のころ着てた服を掘り出してみたり、頂いてた食器を出してみたり、あれこれ楽しかった。
あれだけ ぱっつんぱっつんで入らなかったパンツがいまやがぼがぼになってたりして、どれだけ当時ぱぁんと丸かったかを思い知って 恥ずかしくなった。
けど あの頃はあの頃で、かわいいパンツ履きたくて一生懸命いろんなお店回って、なかなかないぴったりサイズをさがしたんだったなぁ。
何度 自分のお尻の大きさに泣きそうに腹が立ったか、とか思い出して おかしかった。


夜、友達から二人目懐妊のお知らせもらった。
すごいなぁ、パワフルだ。

今日は午後がつるつるっとすぎていったから、明日はちゃんと噛み締めよう。

みぃも帰ってくるし。

2010-09-28

決意

結婚式終わったら たくさん作ろう。
名刺も作ろう。

新しい世界を切り開くのだ。

2010-09-26

初めて贈り物として

ともだちのお誕生日のプレゼントに、アートフラワーの髪飾りを贈った。
今まで作りためてきたけど、誰かにつけてもらうために作って 贈ったのは初めて。

満を持して、じゃないけど、やっと人にあげれるクオリティのところまできたから。

神戸で仕入れたリボンと合わせた モノトーンの、大人っぽさとかわいさと両方の雰囲気を持ったものを作った。

つける人を思い浮べながら作るっていうのが、ほんとの「作る」だと再認識した。

その人の毎日に溶け込み、少し花を添えれたら。


あげて、箱をあけた時の反応は一生忘れられないな。

作ったの、とあかしたのに対する瞬間的なあやけの反応、
「じゃ、さなえの独立第一弾?」

すとん、とからだとこころに落ちて じわんと染み込んでいった。


貴重な貴重な瞬間だった。

2010-09-19

はたと。羽田からの電車の中で。

どのみち無名なのだ。

はじまりに必要かつ不可欠なのは
見た瞬間 きれい、かわいい、の感情が湧き、
それから 欲しい、へつなげる「ものの力」だけだ。
ブランド力はその感動の積み重ねでついてくる。

もしくは、
見た瞬間、
からだがあわだつくらいの感動を覚え、
その一瞬をそのあともずっと覚えていてもらえるような衣装。
衣装が主役として、ではなく、あくまでも強力な縁の下の力持ちとして。
経験の積み重ねだ。


どのみち どちらにせよ、まず 私の思う「よいもの」を作り出さなくては。

2010-09-17

整理 手作りこんにゃく

今日は朝から整理の日にしようと決めていて、朝起きていつものストレッチと小さな朝ごはんを済ますと、会社からまとめて送ってた資料の整理をした。
入社当時描いたデザイン画からリサーチ資料、雑誌の切り抜き、かきなぐってた絵まで。
ひとつひとつ、見れば隅々まで思い出があるなあ、とおもう。
他の人にしてみればただの落書き程度の絵でも、その時々の理由があって全部とっておいた絵や資料だから、全部が懐かしくおもえた。
全部きれいに分類し、捨てるものは捨て、記録としてとっておくものはとっておくようにファイリングした。帰ってからずっと部屋に鎮座してた段ボール箱をやっと片づけれて、
気持ちまで やっとすっきり全部整理ついた。
きちんと仕事してきたな、とおもえた。
改めて見ると、入りたてのころのデザイン画は、ただ絵を描くのが楽しいだけの「絵」だった。
当時、先輩に「カットソーの描き方、練習しよっか」と言われたとき、その言葉の意味が全くわからなくて、ただただなんとなく悔しい気持ちだけがしてたけれど、今見たらわかった。
ほんとだ…と。
ただ、そのころの絵には今ない部分もたくさんあった。
「着ている」その空気感だけは満ちていて、素直な自分の手が表れてた。
どっちがいいとかではなく、使い分けが大事なのかも。
と ちょっとオトナなことをおもったりした。


お昼過ぎから妹の髪飾りの続きに着手。
ひとつひとつ はさみで形作っていく。
なんとなく(したことないけど)和菓子職人の気分。
下ごしらえ完了。


夕方 とても涼しそうな様子だったから、目の前の公園を散歩。
ほとんど人がいなかったけど、遊具のあいだをおばあちゃんと孫3人くらいで虫捕りあみを持ってトンボを追いかけていた。
肺いっぱいに空気を吸い込む。
やっぱりいい匂い。
夕方の匂い。
しばらく歩いて、バレエのセンターレッスンの一部分をこっそりやって家に帰った。


今日は午前中 お母さんがこんにゃくを作っていて、晩御飯が楽しみでたまらなかった。
うちの母はこんにゃく芋からこんにゃくを作る。
今日はじめて その手順を一から見ていたけれど、あの過程はとてもまねできるものじゃなかった。
なんと手間のかかることか。
「今日は灰汁を入れすぎたから 失敗よ、失敗よ」と心配性の母が何度も言ってたけど、
いつも通り、本当においしいこんにゃくができていた。


今日の晩御飯はたくさん。
手作りこんにゃくのお刺身(梅味噌と肉味噌、生姜3種類で)、こんにゃくの煮つけ、ちぃちぃイカの煮つけ、クジラ肉の煮物、生厚揚げ焼き、あさりの酒蒸し、焼き茄子、牛蒡のきんぴら。
最初 多いなあ、としり込みしてたけど、気付くと お父さんとぺろりとすっかりたいらげた。

2010-09-16

一年前のいまごろは

ちょうど パリへ出張にいっていたころだ。

ひさしぶりに自分の日記を読み返してたら 日付がそうなってた。

たった一年前。
そのことに愕然とする。

たった一年。

なんて大きな一年なんだろう。

世界が違う。

とりまくすべての環境が違う。

ということは、一年先も違うんだろう。
というより、一年先、「なんて違うんだろう」と
光あふれる気持ちで思えるように 今があるんだろう。

運動会の朝の空と 秋刀魚

朝起きたときから 抜けるような秋の青空だった。
高いところに雲が浮かんでいて、窓を開けると少し涼しい澄んだ風が入ってきた。
小学生のころ わくわくした 運動会の朝の空と一緒だった。
ベッドから降りて床に座って窓を見上げると、そこだけくっきり切り取られた絵みたいで
なんだかうれしくて しばらくそのまま眺めてた。

午前中は お母さんがおばあちゃんちへ大根の種を植えるのを手伝いに帰ってたから、私は頼まれてた妹の英語の問題作りをすることに。
高校生のころ使ってた問題集を何年かぶりにひっぱり出してきた。
少し問題に目を通すと ぎゅんっと時間が一気にさかのぼって、
そこに引いたマーカーの線や 貼ってある付箋の意味まで思い出せた。
そうだ そうだ、あたし ここのこの単語、どうやっても覚えれなかった、とか。
これ、この日本語訳にするの ほんと嫌い、とか。
もう10年くらい前になるのに、その問題をしてた時の天気や周りの風景まで、まるでついさっきくらいの鮮明さで思い出せて ちょっとびっくりした。

今日の晩御飯は秋刀魚の塩焼き。
買いたいな、と何度かスーパーでも思ってたけど、どうも今年は高くて手が出てなかったけど、さすが瀬戸内。(って秋刀魚が瀬戸内で獲れるわけじゃないけど)
ぷりっとまるまる太ったからだで 艶もすごくよくて、
おかあさんと夕飯の買い物に行ったスーパーで見た瞬間、
それまで何が食べたいかよくわからなくて困ってたのに
一瞬で「今日は秋刀魚!」と決まった。

今日の晩御飯は秋刀魚の塩焼き、しじみのお味噌汁、貝割菜の胡麻味噌和え、鶏レバーの煮つけ、イカの煮つけ、豚肉とピーマンの辛み炒め。
からいからい大根おろしをお皿いっぱいに作って、秋刀魚と一緒に食べた。
今年の初物。
おいしかった。

2010-09-15

おかあさんの蒸し器

蒸し物を普段から普通にするおかあさん。

私は一度もちゃんと蒸してる現場をみたことがなかった。

毎回 私が野菜やお肉を蒸すとき、蒸し器がないから、深い鍋に薄く水を張り、底にお椀をひっくり返して置き、その上にお皿を置いてそこに食材を乗せ、蓋をして蒸していて、そのキャンプ的な簡易蒸し器にうぅーん…と何とも言えない切ないような気持ちになっていた。

が、今回 びっくり。
おかあさんもこの方法で、すべての蒸し物を制覇していたのでした!

つまり 間違ってない、ということ。

きちんとおかあさんの味に近付けていけそうだ、ということ。

家事はアイデアと経験の積み重ねだなぁ、と今日は蒸し器から学びました。

実家でのときの流れ

今日も健やかに7時前には起きて 全体のストレッチ。

朝ごはんにはコーヒーとパウンドケーキ。

毎回思うことだけど、実家での朝は、1日のうちで一番濃い。
一時間の中に数えきれないほどの出来事がある。1分が通常の5倍くらいありそうな感覚。
きっと 入り込む朝の陽射しの量や角度が刻々と変化していくからだろう。
わたしも動くけど、外の表情も変わるから、倍以上の濃度の感覚。
それがとても好き。

今朝も、窓際で刺繍をするおかあさんを眺めながら朝ごはんを食べ、仕上がりを相談しあったり。
新聞を読んでニュースを見て、お化粧をして、メールチェックと画材やの地図を調べ。
まだ刺繍を続けるおかあさんの側で 手縫いでリングピローを作り上げ。

お昼を食べて 今日はすぐに電車で岡山の画材やさんへ額を買いに行きました。
何年かぶりの路面電車で城下の画材やさんへ。
店に入ると あっという間に 理想的な額と出会い、ものの15分ほどで目的終了。

本屋さんに寄って
それぞれぐるりと見て回り、私はずっと欲しかった飯島奈美さんの料理の本を買ってもらってしまいました。

キムラヤでバナナロールを明日の昼ごはん用に買い、また電車で帰宅。

おやつを食べ、
額を完成させ、
今日もひとりレッスンを廊下でしました。

なんだかんだ 今日は全体的に内容の濃い1日だったな。

2010-09-14

夕方のさんぽ

岡山の実家に帰ってきています。

帰ってくる前は いろいろと
「帰ったら 何にも準備が進まないんじゃないか」と心配で
帰りたいのに帰りたくない、なんだかもやんとした気持ちだったけど
帰ってきてみたら やっぱりここ特有の包容力に包まれて
すぅっと自然にすべてが馴染んでる。

自分がおかれた状況さえ 忘れてしまいそうな感じ。


今日は一日涼しかったから、
夕方 刺繍糸で足りないものを買いに買い物に出るとき
歩いていってみることにした。
普段 東京にいるときなら全然気にならない距離も
なぜか実家に帰って車生活が当たり前の環境になると 一気に歩くのが億劫に感じるけど
今日は涼しさに背中を押されて、でも念のため日傘を持って出てみた。

きゅんとする匂い。
子供のころ、日曜日におばあちゃんちにかえって
夕方 お父さんと妹とよく外で遊んでた頃とおなじ匂いがした。
空気がたっぷり 樹や草や土の匂いを含んで
その中にそれぞれの家の晩ごはんのできる匂いもまじってる、「生きてる」匂い。

一歩一歩 背筋を伸ばして歩いてみた。

今、私が置かれてる状況を 自分でやっと感じられた。

今の時間は きっと 人生の中で とても貴重。

この先をどう生きていくか、
それをじっくり見定めて 決めていくことが許されている時間。

せかせかとあわただしく 先のことばかり心配していては
とてもとてももったいない、そう思えた。

揺るぎないのは
洋服を作りたい、その想いだけ。

とにかく 作りたい。
それをどこで、どうやってか、それを体を動かして見つけていこう。


でも その前に、
私が生まれ育ったこの土地を、
この姓でしっかり味わっておきたい。
そのための貴重な一週間だ、
そうも思った。

2010-09-10

さくら


秋にさく さくらを。

やっとスタート。

2010-09-09

かてきょ

妹に英語をおしえに 京急にのって。

平日は週末とちがって 活気がある街だった。

「おしえてほしいんだけど…」の電話に
「うん、いいよ、いつでも」のふたつへんじができたこと、
とても新鮮におぼえた。

どこかの街ではなく、
家でふたりでいるのは おちついてはなしができて とてもすき。

お昼ごはんに冷やし中華をつくってくれた。


数年ぶりの受験英語は とても難しかった。

「日本語に訳せ」って きらい。

それぞれの言語には それぞれの思考回路があって
その言葉ででしか言い表せないニュアンスがあるのに。

ふたりで顔つきあわせて うんうん唸ってたら 途中抗いようのない睡魔がきたり。

そんなこんなで なんとか解いたけど、
ほんと 翻訳家ってすごい、とおもった。

ニュアンスちがうんだもん、なんて言い訳きかない、
そのニュアンスを伝えなきゃいけない仕事だもんなあ。
尊敬。


そばで ひなたぼっこしながらうとうとする猫と しずかな部屋のなかで過ごした一日。
たのしかった。

2010-09-08

ここ数日と花の水換え



まだまだ 休暇気分です。
毎日 社宅の引っ越しやら荷物送りやら 人に会ったりやらで なにかと分刻みな数日。

でも いいんだ、このほうが。
とにかく からだを動かすほうが今のこころにはやさしい。

いろんな人のいろんな話をきくと
すうっと世界が開けるような感覚になる。

ともだちに会えるということは とてもしあわせ。

会社を辞めて それからつながれる人がいるということは 新鮮でとてもうれしい。
会社の中ではいつも一緒に仕事をしていたけど、そのときにはできなかった話もでき、
いつもそこにあった空気のクッションみたいなものが ぽーんとはずれて ぐっと距離が縮まる。

学校と会社、それぞれ ちがう性質の社会だけれど
ひとつの場所で ぐっと密度の濃い時間をともにすごした記憶を共有してる、
そのことが持つ力はおんなじなんだなあ、と知った。


部屋のそこここで咲いてる お餞別のお花、
日々その姿を変えて 日々終わりに近づいてる。
けれど、毎日水換えをしていると
「水切りをして、水を変えて、古くなった花は短く切ったり 生け変えて」という一連の動作をすることで
毎日 こころがしゃんと呼吸をし 頭も新しい空気をすって クリアになっていく。

ありがたい とおもう。

2010-09-03

「最終出勤日」というひびき




「私事で大変恐縮ですが、本日9/2(木)を最終出勤日とし、退社することになりました。」

退社される人がその日のいちばん最後に送る、退社の挨拶のメール。

入社して初めて見たときは、なんだか大人の世界を覗いた気がした。
とても文章も内容も大人っぽく感じて。
退勤時間6時を過ぎて、いつの間にか送られている、そのタイミングまでも不思議な気がしてた。


それを自分が送ることになるとは。

みなさん いつ準備して こんなメールを作ってるんだろう、と思ってたけど、
当日になれば、自分も誰に教わるでもなく、
デスクやロッカーの片付けをし、宅配で送り、メールを準備し、会社の備品を整理し、
6時の夕礼を迎えていた。
メンズ・ウィメンズのデザインチームとパターンチーム、フロア全員の方々が集まってくださり、その輪の真ん中にいた。
いろんな想いが交錯しまくって、ひとりひとりの顔を見ると その想いがはちきれてしまって、最後 きちんとご挨拶ができなかった。

夕礼は恥ずかしいからいやだな、なくていい、ひっそり去っていこう、と
退社日が決まった日から思っていたけど、
リーダーやチームの方たちが、恐縮するくらいばっちりと色々準備してくださっていて、
みなさんから見送っていただけることが どんなに今回ありがたいかを思い知った。
ひっそりだったら、わたしはもうこの先 どう進んでいいか 自信もなにもなくしてしまってたな、とおもったから。

夕礼が終わり、たくさんの贈り物をいただいて、
はたと PCや携帯を返さないといけないことを思い出した。

そうだ、メール。
作ったメールを読み返して、こころを落ち着けて送信ボタンを押しました。

あとはものすっごくどたばただった。
あれだけ大事に大事にとっておいた いろんなファイルやフォルダも ざざーっと全部選択してごみ箱フォルダに入れて、「ごみ箱をきれいにする」を選んで消した。
さすがに ひやりと心が冷えるのを感じたけれど、それを思ってる時間も余裕もなかった。
かえってそれでよかったのかもな。

PCも携帯もかえし、印鑑を押した。

最後、返すもの。社員証。
総務の方はほとんど帰っていたけれど、ひとりだけ残ってる人をみつけると、
その方は私が入社したその日にオフィスを全部案内してくださった方だった。

呼び止めて、「今日、退社することになったんです」と言ったときの彼の顔はすごかった。
あんまりにも悲しそうな顔をして下さるから もう顔が見えなかった。
社員証をホルダーから出して 手渡す手が震えてしまった。
ありがとうございました、とだけ言って 部屋を出た。


たくさんの方々に たくさんの言葉をいただいた。
そんなに話したことがない方からも。
顔を見れば挨拶をして 一言二言話して笑いあう程度だったキッズのパタンナーさんが わざわざ最後来て下さって、
「横畑さんの服装が好きで、毎日楽しみにしてたんです。毎日お会いできなくなるのが本当に寂しいです」と泣きながら言って下さったのが、とても心にのこった。


ディレクターが言ってくださった「無知の知」ということば。
己を知り、世の中を知ること。
決断したその日から振り返らないで、と。


わたしは 自分で決断したんだ。
会社都合と考えたくもなったりするけど
これはわたしが決断したこと。

この先へ進むべくときがきていた、その波にのったのだ、と。


社会人としての出発地点。
働く上で大切なことを たくさんの方々に教えていただいた。
あの会社ででしかできないような 大きな舞台で働かせてもらった。

ここで終わりじゃない。
あれが出発地点なのだとすると、わたしの先はもっともっと世界へ広がってる。

がんばろう。

ありがとうございました。

2010-09-02

最後の朝

今朝はひとつ区切りの日。
2年半、とことばにすると たったそれだけ?!とびっくりする。

ゆうくんがわざわざ早起きしてくれ、一緒に新宿駅までいった。
いってきます!と手を挙げて、人ごみのなかへ紛れたとき、初めての海外出張で不安でたまらなかったのを、見送って元気づけてくれたことを思い出した。

ずいぶん 経た気がした。