深く深く吸い込んで、肺のすみずみにまで 行き渡らせたい春の匂い。
無条件にうれしくなる匂い。
秋の金木犀と春の沈丁花の香りは なんか特別なちからがある。
晩ごはんの小鉢は、春の味。
春キャベツの韓国風コールスロー、絹さやと蒸し鶏のごま味噌あえ。
おまけは京風出汁巻たまご。
会社の新しい携帯、アイフォンに辟易する毎日。
いつか これを使いこなせる日はくるのか??
一言で、
韓国は好き。
なんなんだろうな、なにがちがうんだろな。
あちらこちらですぐ路上でフリマみたいなお店開いちゃったり、道路のでこぼこ具合だったり、はっきりした性格だったり、っていうのは上海と変わらないはずなのに、ぜんぜん受ける印象がちがう。
気持ちの問題?
でもやっぱりちがう。
人ははっきりした性格だけど、漂う空気が穏やかで、笑顔をもらうと染みるように響いてきた。
独自の文化と、取り入れる文化の割合が日本に近い気がした。
街全体に、たのしげな活気があふれてた。
ごはんもおいしかったし。どれをとっても滋味深い味がした。
高麗人参、生姜、栗、牛肉、唐辛子、葱、五穀は、食べたどの料理にも入ってた。
瞬間的なすききらいで、直感的に好きな国だった。
まだかなまだかなと京成スカイライナーをホームで待ってて、入ってきた電車が、向かいのホーム側だけ扉をあけるから、「降りたらこっちがあくんだろう」と待ってたら、扉を閉めてぷぷーと行ってしまった。
理解できなくて、でもよく見たら、立ってるホームはただのホームで、向かい側がスカイライナー用だった。
ほとほと自分に呆れる。あれだけ時間に余裕みて準備してたのに。
にこにこ待ってた自分が哀しすぎる。
自分は人に対して寛容だとおもってたけど、ただ無関心なだけかもしれない。もしくは、自分のキャパが狭すぎて、距離が遠い人には極力バリアをはって 自分でシャットアウトするから、わたしとは無関係だという気持ちから、寛容なふうだと 自分自身で勘違いしてるだけなのかもしれない。
人の関係は 作り上げていくもので、勝手にできるもんじゃない。
わたしは それをもっときちんとやっていかないと、大切な人やことやものを取りこぼし、気付くと失ってる、なんてことになるかもしれない。
描きなおそうかな、とも考えたけど、なんだか描きなおすとそこにこめたものも消えちゃいそうだから、母さんにはきっと うまいへた関係なく、想いは伝わるだろうと勝手に解釈して、そのまま ラッピングした。
カードってむずかしい。
奥がふかい。
飛びだす絵本みたいにしたいと思っても、あの仕組みは生半可なもんじゃできないし。