くうきのいろ

2010-04-05

日の出町にて。浄化。

土曜日。

日の出町へ。

ほんとに高架下とその下の建物の隙間という不思議な空間。
踊る人は観る人よりまた一段高い場所で、立つと頭を擦りそうなぎりぎりの高さ。

今から、という区切りもなく、ここが観客席、という区切りもなく、とくとくとぅるとぅる もうはじまっていて、少し違う空気が流れていた。
はじめのうちは、自分がまとう空気と 一段上の場所に流れる空気の質と匂いが違うことに違和感を感じた。

でもしばらく、ぜんぶの力を抜いて 観るとはなしにただその場の空気に身を委ねたら、ふぅっと、ある一瞬から、わたしの空気もそこのそれに合った。

そうすると、あとはただきもちよかった。

途中まではストーリーを読み取ろうとしてみてたけど、ストーリーを頭で理解するよりも からだの感覚でこの場のぜんぶの空気を味わうほうがいいや、と思って、ただひたすら観ていた。


かおりさんは、まったくうまく言えないけれど、過去現在未来すべて含めて存在する「時」と「場所」、光や音や匂いの「記憶」そのものだ、とおもう。
踊るその姿と纏う空気がすべてを物語る。
物語る、というか、そのもの。
溶けている。
あれこれふさわしい言葉を考えてても、このひとことに尽きる。

観てるわたしのからだをそよそよと風が通り抜けていくみたいに、いろんな今までの景色と記憶が身体中をかけぬけて 血が巡るようだった。

なんだか、浄化されたみたいだった。

すごくきもちよかった。

2010-04-04

2010-04-01

ハーブティー

今日は、昨日成城石井に寄り道したときに買っちゃった、ハーブティーがある。
お茶飲めなかったのに、最近少しずつ飲めるようになってきた。

まだ好きになれるものがあったことにびっくり、うれしい。

2010-03-31

風通しよく

なにごとにも臆病で
人のめを気にしてばかりで 得るものなどなにもなく、
我が我が、くらいの自己主張をしてやっと、輪郭は人の目に映るんじゃなかろうか、と今日もまたおもいました。

出会える人、
いただけるチャンス、
それは 風通しのいい窓があいていれば
おのずと 光とともにやってくる。

健やかに。
朗らかに。

どう見られたって 一生こまるわけじゃない。
その場、その一瞬、ちょっと恥ずかしいだけ。

春のはなの写真

春のはなの写真をみて 脚のつけねから全身にかけて じわあっと鳥肌がたった。

こんなふうに 生の姿を、眼と肌とで 感じ、すべてをあるがまま受け止め
やさしくくるんでくれる友達がいる、ということ、
もうそれは 生きてる、存在しているよろこび、すべてじゃないか、とおもった。

2010-03-29

お母さんの声

今日は朝いちからやることをばぁっとひとつずつスケジュール帳に書き出して、いっこずつめんどくさがらず考えながら片付けていった。

きゅっと詰めて動いたからなのか、6時くらいからとたんにちょっと息が苦しくなって、そうそうにあがることにした。

つながるかなぁ?とどきどきしながら、ひさしぶりにお母さんに電話。
ものすごくひさしぶり。


なんてことないこと話して、ころころ笑ったら、きづくとちょっと息が楽になってた。

母の日、ってコンビニに書いてあるのみて、今年はなにか買うかわりに、カーネーションのコサージュを作っておくろう、とおもった。

2010-03-28

アンナ・カレーニナ

もやっと過ごしてるぬるま湯の日々が、たたみかけるように目の前に押し寄せた。

バレエの細かな技術も出演者も 無知に等しいけれど、舞台から眩しい熱風のように吹き付けるものは、そのまままっすぐ私をつきさした。

煌びやかな衣装を纏って飛び舞う人たちは、わたしをどんどん裸にした。

涙が止まらなかった。


わたしは今のまんま流されゆるゆる過ごしてる時間なんてない、と。
この先の生き方を、しっかり見定めていかないと、限りある時間はたださらさら流れて、きづくと手元にはかけらさえ残ってないことになるかもしれない。

人生は思い切りと覚悟で道が作られる。


気ばっかり使って、悩まなくていいことばかりで悩んで無為に過ごすのはやめなきゃ。


やりたい、やらせてください、をもっと出せるようにしていく。